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清水康太「なんとかなる」

OBOG並びに保護者、その他関係者の皆様、平素より同志社大学男子ラクロス部に温かいご支援ご声援誠にありがとうございます。

4回生SDF 1番 清水康太です。


文才のかけらもなく拙いですが、最後くらいは全て本音で綴りますので長いですが是非読んでみてください。

何を書こうかなと悩んでるうちに期限を1日過ぎてしまいました。すみません。


考えた結果リーグ戦への思い、自分自身のこと、ラクロスの振り返って思うことを中心に書いていきます。



2021年12月4日。

初めてチームスポーツが怖くなった去年の入れ替え戦vs.京産からもう1年。


自分のせいで3失点、1パスミス、4Q、サドンビクトリー4Qでフラッグ計2枚を飛ばした。


2Q終了後トイレでやばいやばいって1人泣きしたのは苦い思い出。



今だから言えることですが、嬉し泣きよりも安堵が9割9分占めていました。



今年はハム大に負けてしまい、現在入れ替え戦に進めるかの瀬戸際です。


公立大の試合の後は本当に落ち込みましたし、切り替えなければならないのにも関わらず、ダウン中ずっとボーっとしてました。


そんな時でも励ましてくれたスタッフもいました。本当にありがとう。


でも何故か今は入れ替え戦で勝って喜んでる未来しか見えないです。



自分は有難い事に2回生のとき、4回生の大会に最後出させていただきました。

2回生時、vs.近大戦。ブザービート残り1秒で勝利。

3回生時、vs.京産戦。4Qでは決まらず、延長サドンビクトリー4Q残り1分で勝利。


何かが起こる気します。その為残り2週間切り替えて神戸学院戦に備えます。備えた先にあると信じて。


ヤンマーで試合をしたい。

次こそトイレでの悔し涙でもなく、グラウンドで安心安堵の涙でもなく、なにもできなかった悔しさの涙でもなく最後はグローブを上に投げて嬉し泣きで締めたいです。泣くかはわかりませんが、、、





今年も同志社らしく何としてでも勝って一部昇格しよう。


そして来年度の為、継承しよう。




いきなりですが自分は「運」が良いなとつくづく思います。

2回生の時にはAチームのSDFで出場できる形を作ってくれました。ただ、負けず嫌いでラグビーをやっていたおかげもあってフィジカルが強く大きい敵に当たってもまだラグビーよりラクロスの方が痛くないって思えます。ブラザーがマーボーさんっていうこともあって背番号1番をそのままもらうことができました。


本当は同志社大学に入れる学力も絶対ないのに、推薦を使い入学できたこと。

ラクロス部で同期という人達に会えたこと。生意気やけどラクロスのことに対して真面目な後輩、怪我したらすぐ氷とか持ってきてくれるし暇話に付き合ってくれるスタッフ。


この大学4年間で色々なことに全ての運を使い果たしたと感じています。

これらを踏まえて自分がみんなに伝えたいことは

「なんとかなる」ということ。

あまりいい言葉ではないのかもしれませんが、思い詰めるほどしんどくなった時にでも思い返して欲しいです。


この言葉は自分が証明し続けた言葉かなと思います。生きていたら当然しんどいこともむかつくこともあります。


実際、不祥事で同学年も沢山辞めたり、OFやりたいと言い続けて、でも結局SDFでも楽しかったり。就職もやばい思っていたけど、なんやかんやニート免れてるし、単位もなんか知らんけど取れてる。先輩たちの1番大事な試合で有り得ないミスしても何とか生きてる。大事な試合もチームのみんなのお陰でなんとか勝ってきている。


適当に人生を生きててもなんとかなってきました。後輩たちには嫌なことがあってもこの考え持っていたら楽なんで超超超おすすめです。3年前の悩みごとを詳細に覚えているかと聞かれるとそうでないと思います。年月が経つと同時に基本なんとかなってます。ラクロス辞めたいと思った時、この言葉を思い返してほしいです。


次にラクロス4年間を振り返ります。


この部活の人たちは本当に心から尊敬しています。

休みなのに自主練ばっかするし、すぐ壁に行くし、壁とか30分で飽きるのに1時間2時間とかやってるラクロス中毒者(いい意味で)。

土砂降りの中、「やるよ〜」っていう甲斐の悪魔の囁き。何回絶望したか。


でも総じて目標のために努力をし続けるすごい人達だなって思います。


それに対し自分は

「なんとなく部活を続けられた人」

でしかないです。


でもそんななんとなくで生きてるやつもちょっとは考えています。それは「チームのために何ができるのか」ということ。

ちょっとええこと言うやんって思うかもしれませんが、本当に大層なことではないです。


1番は4回生の頃ゆうすけとか甲斐にDFやってほしいと思ってた時、自分はあんまり乗り気ではありませんでした。しかしちょっと考えてみれば、2回、3回とSDFしかほぼやってこなかった人間が、OFで大きく貢献できるわけはなく、自分は少なくとも2回から2年間SDFのポジションでやってきた事実はあります。上手い下手は別として。


チームの為、何をする必要があるかと考えた時、答えは明確でもうSDFしかないと考えてやっています。


小さい棒持ってるだけで永遠敵から仕掛けられる"なんもおもろない"って思っていたのが正直なところです。(ともしゃんならわかってくれるよな)でもたまに面白い時もあります。



磯部の言葉を借りますが、なんとなく部活してる自分が、頑張っているみんなの邪魔をできるわけないし、したくない。その一心で試合での対人DF、チェイスを死ぬ気で取りに行って流れを変えられるようになりたいと思っています。

こんな自分が言うのもあれですけど、後輩のみんなは「チームの為何ができるのか」を常に考え行動して欲しいなって思います。





最後に、


ともさとさん。

初めて「さん」ってつけた気がします。SDFっていうみんなやりたがらないポジションを3年間もやれたのは確実にともしゃんのお陰やと思ってます。ありがとう。

去年の引退ブログで感謝されたけど無視してたから仕方なし、ここで感謝しときます。褒めたからとりあえずご飯でも行って、いっぱい奢ってもらおっと。



同期。

ハム大に負け、何としてでも勝たなければいけない状況。どんな手を使っても勝とう。先輩達が作ってくれた土台を台無しにすることなく、最短で一部に上げて、自分達も後輩に継承していこう。




残り数試合。

15年間のスポーツ人生に区切りをつけます。最後はみんなで勝ちたい。いや、結局「なんとか」なっててみんなが想う「使命」を全うするんやろなあ。無理矢理にでもなんとかならします。



#1 清水康太

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