まず初めに、日頃より同志社大学男子ラクロス部の活動にご支援、ご声援をいただいております保護者の皆様、OBOGの皆様、学校関係者の皆様に、この場を借りて感謝申し上げます。
改めまして、#47のLMSをしていました、富永大翔です。
最後の引退ブログとして恐らく長く、まとまりのない文章になってしまうと思いますが、時間のある時にでも目を通していただければ幸いです。
ついにこの時期になってしまいました。本当はまだ選手としてFINAL決勝の意気込みとともにこの引退ブログを書くつもりだったのですが、力及ばず、FINAL3 準決勝で神戸大学に敗れ引退という結果になってしまいました。
引退ブログとしてこの四年間、特に最後の一年について書いていこうと思います。
思い返してみると、この4年間は自分にとって、激動の4年間となりました。
当時3回生で、同じ高校出身だった川口潤先輩がいたという理由だけで見学に行き、そこで自分たちの代ならば関西制覇が狙えるという先輩の言葉に転がされ、勢いもあっていつの間にかラクロス部に入部していました。
そこからは毎日が光のような速度で過ぎていきました。悔しいこともあれば、うれしいこともたくさんありました。
一回生のウィンターでは準決勝で関学と激闘した末のフリーシュートで敗れ結局4位という結果に終わり、でも一方で関西ユースに選出されることもできました。二部三部入れ替え戦では激熱な試合の末、二部昇格を勝ち取りました。
二回生では、二回生ながらもリーグ戦ではベンチに入れてもらうことができ、たくさんの貴重な経験を積むことができました。そして無事にチームは二部昇格戦に勝ち上がり、次年度から一部の舞台で戦う権利をつかみました。
三回生、三回生は自分にとって非常に悔しい年になりました。チームは新しくシュンソクさんをコーチに迎え、チームはどんどん成長していきました。リーグ戦では一部昇格初年度からFINAL進出と調子はどんどん上がっていきました。一方で自分は初めのころはスタメンとして試合に出場させてもらっていたものの、リーグ戦中盤にはベンチに固定と、尻すぼみになっていました。FINAL3、FINAL決勝でも自分はチームの勝利、そして敗北という結果をベンチからただ見ていることしかできませんでした。来年は、来年こそは自分たちの代で絶対に関西制覇を成し遂げてやる、という気持ちが沸きあがりました。
そして気づけば四回生。最後の年。そして最も苦しかった一年。
六月一日の交流戦。
昨年関西制覇を心に決めたリーグ戦開幕まであと一か月というときに左右中足骨の疲労骨折。
ことばの通り絶望しました。
前の決起ブログにも書きましたが、それまで調子を上げて、自分のプレーに少しずつ自信を持てるようになってきていたタイミングでもあったことから、何よりもメンタルに絶大なダメージを受けました。
医者には手術した方がいいとしつこいくらいに勧められましたが、時期的にもリーグ戦が近く、手術をして一カ月の空白を作るよりも、復帰まで少しでも何かできることをしたいと思い、手術はしないという道を選択しました。今となってはこの選択があっていたかはわかりませんが、、。
チームのトレーナーをしていただいている柴田さんと相談し、リーグ戦初戦の京大戦に間に合わせるのが難しかったことから、復帰の照準を関学戦にすることにしました。少しでもこのチームに貢献したいという思いから、鬼のようなリハビリを乗り越え、痛みは取れなかったものの、何とか関学戦までに復帰することができました。敗北という結果に終わってしまったものの、試合では4Qを走り切ることができました。
しかし、本当の地獄はここからでした。
痛い。
そう、とにかく痛いんです。
今までは何が何でも試合に出てやるという気持ちから、自分をごまかすことができていましたが、それまでの疲労や足への負担から、そのごまかしさえも貫通するくらいに痛みはひどくなっていました。
第三戦の神大戦まで二週間ほどという中で、一週間は練習ができない状態になり、実戦練習も十分にできないまま神大戦を迎えることとなりました。
神大戦では、2Q終わりから骨折した部位が腫れあがって走れなくなり途中で離脱。
なんかもうすべてが嫌になりました。
復帰するためにどんなに頑張っても、
なにもできなかった二カ月のブランクを取り戻せるほど練習ができるわけでもないし。
たとえ練習に参加したとしても、
練習後に待っているものは激痛だし。
結局どんなに痛みに耐えて練習に参加したとしても試合にもまともに出れない。
自分の選手としての価値ってどこにあるのだろうか。
こんな負の感情があふれ出てきました。選手だって何度やめようと思ったかわかりません。痛くて、悔しくて、悲しくて、ふがいない自分が嫌で寝れなかった日も多々あります。
でもシーズン初めのコーチ決めミーティングでDFが二人しかいないという理由で今自分が選手をやらせてもらっているという状況に、最後まで選手を全うする義務があると感じました。
次に試合に出ることができたのは負ければ引退のFINAL3の神大戦。
結果は2-7の完敗に終わり、自分たちの引退が決まりました。
負けた瞬間は悔しいという気持ちが沸きあがってきました。しかし不思議なことに、しばらくするとその気持ちは今までチームにかかわってくださった人たちへの感謝に置き変わっていました。
最後の最後まで最高の応援をしてくれた大好きな後輩たち。
メンバーとしてフィールドの中で自分たち4回生を支えてくれた最強の後輩たち。
雨の中、貴重な時間を割いてまで応援に来てくれた親友。
人数が少ない中で苦楽を共にしてきた最高の同期たち。
そして何より両親に対して。
「ありがとう」
自分のことを気にかけていただいて鼓舞し続けてくださったふくたけさん。
多くの学び、そして物事に対する考え方を教えてくださった肥田監督。
試合に出れるチャンスに少しでも近づけようと治療していただいた柴田さん。
本当にありがとうございました。
最後に後輩へ
自分は決して尊敬できる先輩ではなかったと思います。しゅんすけみたいにリーダーシップがあってラクロスが上手いわけでもなく、しょうごみたいにチームを盛り上げられるわけでもない。最後の年に至ってはけがでほとんど使い物にならないいわゆるお荷物であったと思います。それでも、最後までチームの一員として受け入れてくれて本当に感謝しています。特にDF陣にはたくさんの負担をかけてしまったなと申し訳なく思っています。四回生がほとんどいない中でここまでこれたことは本当にすごいことだと思うし、そんなDF陣は来年もっと強くなることができると思う。
三度目の正直として来年の関西制覇を願っています。
#47 富永 大翔
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