今年度1回生コーチを務めさせていただいた織田康平と申します。
まず初めに、日頃より同志社大学男子ラクロス部の活動にご支援、ご声援をいただいております保護者の皆様、OBOGの皆様、学校関係者の皆様にこの場をお借りして感謝申し上げます。
今後も弊部に変わらぬご支援、ご声援を送っていただけますと幸いです。
何をテーマに書こうか迷いましたが、
あえて狭く、1回生の君たちに向けて、これまで言ってこなかった僕の選手時代の話、この一年間考えていたこと、これからの君たちへの思いを綴るブログにしたいと思います。
「原動力」
人によっていろんな形があると思う。単純に楽しいからとか、同期の存在とか、責任感とか。
僕にとっての原動力は「憧れ」だった。憧れを見つけて、その姿に近づこうとする、その対象を超えるために必死に練習する。その過程が楽しかった。
この「憧れ」がすべてに対してのモチベーションだった。
1回生の頃は、できることが増えていって、点を決めてみんなが駆け寄ってくる、それがたまらなく楽しかった。ウィンター期の一か月だけGをやっていた時期もあったけど、ウィンターが終わってすぐにOFに戻った。
理由はいろいろあるけど、一番の理由は、OFでエースとして活躍することに憧れて入部したことを思い出したから。このころはただただ楽しくラクロスをしていた。
「#29は同志社のエースナンバー。試合を決めるような、同志社のエースに相応しい選手になれよ。」
1回生の終わりに偉大な先輩からもらった29番という番号と、ふくたけさんからいただいた言葉。
ラクロス人生で、いろんな幸せな経験をして、いろんな辛い挫折を味わったけど、思えばこの番号とこの言葉に苦しめられて、それ以上に救われたような選手時代だった気がする。
2回生になった。Aチームに入らせてもらえる機会が増えて、憧れの対象たちとラクロスする機会が増えた。楽しかったのと同じくらい、自分の下手さを突き付けられた。刺激の強すぎる毎日。必死で食らいつこうと思った。
ただ、気づけばその憧れが大きくなりすぎて、超える対象として見なくなっていった。憧れが信仰に近いものになっていたことに気づくのは、この半年後、シュンソクさんに出会ってから。
そして、夏ごろに怪我や病気に襲われて、練習に参加できない時間が増えた。大した結果を残すことなく2回生を終えた。それでも腐らずにいれたのは、背負った29番と、部内外の憧れの存在だった。
3回生になった。まともにプレーできるくらいに回復して、やっとAチームにも居場所ができた。期待してもらっているという実感と、背負った番号が、自分の背中を押してくれた。でも、スタメンとして始まったシーズンは、リーグ戦が始まるころには、気づけば2枚目以下になっていた。
リーグ関学戦、大雨の中逆転、劇的勝利。勝ってみんなが喜んでいる中で、一人だけ喜べなかった。
正直記憶なんてほとんどない。かろうじて覚えていることは、勝利の瞬間チームメイトがグラウンドに駆け出しているのを見て、思い出したように喜びに行った時に見た景色。
この年チームとして大切にしていた一体感。輪に入っているように見えて、一人だけ別の世界にいた。
子供すぎることも、チームの一員としてマイナスな存在であることも自覚していた。
それでも、個人的な悔しさと不甲斐なさが勝った。
あんなに先輩から声をかけてもらって、あんなに期待してもらって、偉大な先輩から、偉大な番号を預けられたはずなのに。
自分の不甲斐なさに、試合に見に来てくれていた先輩とまともに喋れなかった。
ファイナル前、シュンソクさんから電話がかかってきた。伸び悩んだな。その一言で片付くことが本当に辛かった。何も言い返せなかった。
記憶があまりないほど、地獄の一年だった。
そういえば、高校時代、あるサッカー選手の記事を見た。一年生にレギュラーを奪われたGKが、Jリーグに内定したという内容の記事。
一年生が試合に出ている中、その選手は自分の気持ちを押し殺して、チームのために必死にサポート役に徹していた。彼の言葉の一つ一つが当時の自分に刺さった。
「悔しい気持ちはもちろんあった。でも、チームの勝利を第一に考えること。
チームのサポート役として全力を尽くすこと。これが巡り巡って自分の成長につながると僕は信じています。」
かっこよかった。
自分に足りていない部分だなと思った。
そういえば、この記事に出会ってから4年経っても、ここだけは欠けているなと。
今思えば、チームの一人としてめちゃくちゃ当たり前なこと。でも当時の自分にはこれが難しかったんかな。とりあえず必死だった。
シーズン終わり、ミーティングを重ねていく中で、ふと思った。
この大学3年間で、人としてどのくらい成長できたのか。
死ぬほど練習して、一人で考えて、
自分の憧れに近づこうとする。
高校時代とやっていることは全く一緒。
不安と焦りはずっと頭の中にあった。
この1年間どう過ごすかが、自分がチームにいた意味を決めると思った。
でも、選手をやめる選択肢はできるだけ避けたかった。
これまで自分を作ってきた憧れだけは捨てたくなかったから。
でも、自分以外の選手の成長のために頭を使うこと、自分ではなく、チームの勝利のために全力を尽くすこと。
この経験からしか、昔からうっすら感じてきた自分に足りないものは得られないな、
そして、多分自分にしか伝えられないことがあるなと感じた。
紆余曲折を経て、僕はコーチになる決断をした。
人生で初めて、憧れを捨てた。
ここからは、僕がコーチになってからの話。
僕が何を考えて1回生の君たちと接したか、何を考えていたかを書きたいと思います。
僕がテーマにしていたことは大きく3つ。
「チームとして立ち返る軸を作ること」
「全員のモチベーションを作り出すこと」
「選んだ選択肢を正解にする努力をすること」
「チームとして立ち返る軸を作ること。」
これは駿佑がブログで書いていた「徹底的に徹底する」に近いかな。
言い換えれば、今年口うるさくみんなに伝えてきた「徹底事項」のこと。
今年さんざん言った2つの徹底事項、さすがに覚えてるよな??
チームがうまくいかないとき、流れが悪い時、全員が立ち返ることができるチームとして圧倒的に自信のある「軸」を作りたかった。
基さんと話をしている中で、強いチームにはこれがあるなと感じた。
ただ、「圧倒的」な軸のレベルになるまでが長かった。
というより圧倒的になれてないと気づくのが遅かった。
例えば、「プレー強度」の話。
多分、これをテーマにしているチームは多いと思う。
でも、その中にも強弱があって、基準の高さはチームそれぞれ。自分たちが高いと感じている強度はほかのチームからすれば低い、みたいなことは全然ある。
その自分たちの基準を疑うまでが遅すぎた。
基準の設定をmaxにすること。めちゃくちゃ簡単に聞こえて、たぶん死ぬほど難しい。
自分たちは出来ていると勘違いしがちだから。
「チームとして立ち返る圧倒的な軸」、結局この一年間で完成したかはわかりません。
これからも君たちがチームとして徹底事項を守り続けるかは任せます。
でも、これから先も大事にしていくなら、基準を疑い続けてほしい。
「当たり前」を、常に上に変化させ続けること、現状に慢心しないことが、この「圧倒的な軸」に大切なことだと思います。
「全員のモチベーションを作り出すこと」
偉そうに聞こえるかもしれないが、僕の中では一番大事なコーチの仕事だと思っていた。
たぶんこの1年間このことを一番大事にしていた。
この一年みんなにとって大事なこと。
サマーで勝つことか、ウィンターで勝って全国制覇することか。
もちろんそれはある。この一年間のチームの成果を証明する場所はそこしかないから。
でも、一番大事なのはそこじゃないよな。
みんなの目標は、将来日本一になること。今年だけよければいいわけじゃない。
4年間の土台を作る。
たぶんこれが一回生コーチの難しいところなんだろうなと思う。
社会人コーチのように圧倒的な知識があるわけでもなく、シュンソクさんのような圧倒的なカリスマ性とリーダーシップがあるわけじゃない、基さんのように経験があるわけでもない、そんな自分がみんなに伝えられること。それが、モチベーションをどう引き出すか、だった。
思い切ってみんなの自主性に任せること。
君たちが自分で考えさせて、意見を交換し合わせる。
それぞれの「原動力」を、この4年間の土台を作る、これが一番大事だなと感じた。
全ては、君たちが将来日本一になるために。
多少遠回りになって、足踏みすることがあっても、これは徹底しようと思った。
この一年間の楽しかった経験、悔しかった経験も含めて、今年伝えたことの中で何か一つでも君たちの土台となればうれしいです。
「選んだ選択肢を正解にすること」
最近出会った、ある経営者の言葉。
「迷うくらいならどちらも同じくらい魅力的な選択肢。大事なのは、その選んだ選択肢をどれだけ自信をもってやり抜くことができるか。信じて自分ができることを全部できるか。」
チームの方針も、メンバー選考の基準も、チームとしての役割も、自分が決めたテーマも。
間違っているかもしれないと疑心暗鬼になりながら進むのではなく、自分で決めた選択肢を、柔軟に軌道修正しながら必死で正解にすること。
ほぼ1人でチームの舵を切る立場として、一番重要なことだと思った。
ただ、今振り返ると、全部に対してやり切れたといえるか。
一番一回生の選手に近い立場として、自分1人で、という意識が強すぎた。
とにかくやりたいことが多すぎた。
でもいろんなことに手を出した中で、本当にやり切れたことはどれだけあるか。
先頭に立つ人間として致命的な欠陥だなと、つくづく自分の未熟さが嫌になります。
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この4年間、いろんな人に出会った。
どれだけ強くても一部の舞台に立てず、僕たちに夢を託してくれた先輩。
一部への憧れはあっても、人数の少なさとチーム環境に苦しむ他大学の選手。
贅沢すぎるくらいのコーチ陣、チーム関係者の方たち。
どれだけ僕たちの環境が恵まれているか、
どれだけいろんな人に応援されてここに立っているか、
本当に強く感じた4年間でした。
1人1人に感謝を伝えようと思いましたが、この一年間特にお世話になった人に絞ります。
基さん
一年間本当にありがとうございました。
いろいろ相談乗っていただいて、チーム方針もメニューもいろいろ考えていただいていたのに結果で恩返しできず申し訳ありません。
コーチになった日から、理想のコーチ像が基さんになっているあたり、やっぱり自分の原動力は「憧れ」なんだなと、改めて思います。
基さんのように、引退ブログのタイトルは「ぼくは名将」にしようと思っていましたが、名将になるにはまだまだだったようです。
めちゃくちゃお金あると聞いたのでまた飲みにつれて行ってください。
駿佑、隼人
いろいろ忙しい中時間使ってくれてありがとう。
めちゃくちゃ心強かった。正直途中から一回生が2人に懐いてるの見て若干嫉妬してた。
あと隼人は一回生に変なこと教えるのやめろ。誉め言葉が全部「えろい!」になってんの見てぞっとした。とりあえず飲みに行こか。
ありがとう。
最後に、3年後、日本一のチームを創る君へ。
このチームにとって、君たち一人ひとりにとって、僕が良いコーチだったかはわかりません。
でも、何か一つでも今年伝えたことを思い出してくれたらうれしいです。
これから先、いろんな経験をして、いろんな苦しい経験もすると思う。
中には、苦しい経験の方が多い人もいるかな。
でもそれも全部自分の成長のチャンスだと、僕は思います。
そんな時こそ、死ぬほどもがいて苦しんでください。いつか頑張ってよかったと思える日が絶対来ます。大丈夫です。
大器は基本的に晩成です。
昔の偉い人も言っています。
「過去を追うな、未来に逃げるな、今何を見るか、何が見えるか」
僕の好きなサッカー指導者の言葉です。
今をどう過ごすか、自分の現状の目標に対して向き合えているか、
また気が向いたら、いつかできるようになっている、と思うには4年という時間は短すぎる。
今をどう過ごすか、何をすべきか、死ぬ気で考えてほしい。
個人としても、チームとしても。
まあみんななら大丈夫か、正直そこまで心配はしてないかな。
ライドおもんないとか言いながらも誰よりもハードワークするやつ、
まっすぐに目を見て話を聞いてくるやつ、
思うように結果が出なくてもめげずに自主練行き続けて反省し続けるやつ、
このチームの全部が好きだった。
勝ち負けよりも、みんながそれぞれ課題に対して向き合っている姿を見るのがなによりうれしかった。
心残りは、みんなを勝たせてあげられなかったことぐらいかな。
コーチとしては未熟すぎたけど、みんなの大事なラクロス一年目のコーチができて幸せでした。
今の僕の夢は、
2年後、3年後、君たちが日本一になって、
泣いて喜んでいる姿をスタンドで見守ること。
君たちがさらに成長して最高の舞台で活躍することを、心から祈っています。
1年間ありがとう。応援しています。
一回生コーチ 織田康平
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